「種雄は私たちの大切な大切な息子です。このまま種雄は犬死にになって終わってしまうのか。私はずっと息子を信じています」
安田種雄さんの父は、涙ながらに捜査に対する無念を記者の前で語りました。
この日は2006年に不審死を遂げた安田種雄さんの遺族による会見が開かれ、
会見では種雄さんの父と姉の2人が不審死事件に関する再捜査を要望。
遺族は時折、涙を浮かべながら訴えを続けていました。
問題の事件が起きたのは2006年4月10日のこと。
文京区大塚の自宅で、安田種雄さん(享年28)が血まみれのまま倒れているのを彼の父親が発見。
頭上から喉元に向けて自らナイフを刺したとされ、当初は覚醒剤乱用による自殺として処理されました。
その後2018年、事件に疑問を持った捜査一課が再捜査を開始。
ところが同年12月に突如捜査は縮小。
以降、遺族への連絡も途切れていると言います。
種雄さんの父親は、発見当時のことを次のように振り返っています。
「息子は血まみれで目を見開いたまま倒れていました。血は天井にまで飛び散っており、右太ももの20〜30cm先には細長いナイフがきちんと置かれていました。当時の警察は、『事件性はないだろう、自殺だろう』と判断していました。でも種雄の傷は、喉元から肺にまで達していました。自分をそんな風に刺したうえで、足元にナイフをきちんと置いてから絶命するなどということが、果たしてあり得るのでしょうか?」
種雄さんの姉2人も、彼が自殺に至った動機や事件の直前の通話記録など、最後の足取りについて把握できていない事といった解決していない点を列挙。
その後、捜査の縮小からおよそ5年後となる2023年7月、「週刊文春」が種雄さんの不審死について言及。
当時の種雄さんの奥さんであり、現在は木原誠二官房副長官の妻であるA子さんが、事件の重要参考人として警視庁による事情聴取や家宅捜索を受けていたことが報じられたのです。
遺族によると、種雄さんとA子さんが結婚したのは2002年5月。
当時雑誌モデルをしていたA子さんは後に子供も授かっています。
しかし次第に夫婦仲が悪化し、2006年には離婚話も浮上。
そんな中で週刊文春は、種雄さんの捜査に政権の中枢を担っている木原官房副長官の影響があったのではないかと指摘。
これに対して木原官房副長官は代理人弁護士を通じ、「記事は事実無根」と反論。
文春に対する刑事告訴まで宣言しました。
文春の報道を受け、種雄さんの遺族は7月17日付けで大塚署長宛てに再捜査を望む上申書を提出。
種雄さんの姉の1人は、木原官房副長官の事実無根だという反論について、次のように言及しました。
「私たちが今、ここにいることがすべてです。訴えるのではなく説明して欲しいです。もし何もなければ説明できるのではないかと思います」
「犯人がもし捕まったとしても弟が戻ってくることはありません。ただ真実を知りたいと思ってます。憶測ではなく、再捜査をして真実を明らかにしていただきたいと思ってます」
種雄さんの父親は、最後にこう語っています。
「種雄が亡くなった時もまともに捜査されず闇に葬られ、諦め生きてきました。それが12年後に再捜査していただけると連絡があった時に心から喜びました。種雄の無念を晴らしてやると息子に誓いました。しかし捜査が始まり、1年も経たないで捜査の縮小が告げられ、捜査一課の捜査班は解散され、大塚警察署へと管轄がうつってしまいました。熱い思いで捜査に当たってくれた方々にもう一度仕事をさせてください。再捜査をお願いします」
事件の真相は、どうなっていくのでしょうか?
※日本人の9割が知らない!毎日の1分習慣でスマホ代が無料になる驚きの方法