泣ける

大会前にこの世を去った女子マネの思いを胸に、最後の夏に目指した甲子園!

全国の高校球児の夢の舞台、夏の甲子園。

毎年目が離せない「熱いドラマ」が繰り広げられますね。

今回は、そんな高校野球にまつわるエピソードをご紹介いたします。

福岡県立古賀竟成館高等学校野球部3年生の女子マネージャー、

舟木あみさんが地方大会目前の2016年5月30日に、

小児がんでこの世を去ってしまいました。

そしておよそ1ヶ月半後、7月10日に行われた全国高校野球福岡大会2回戦に、

舟木さんの思いを胸に残された仲間たちが最後の夏に挑みました。

背中に痛み

あみさんは古賀竟成館高校の3年でただ1人の女子マネージャーで、

試合でも誰にも負けない位大きな声で選手たちを応援する女神のような存在でした。

そんなあみさんに突然体調の変化が現れたのが、昨年の夏の大会中。

いつものようにスタンドで応援していた時、

背中に痛みを覚え声がでなくなってしまったのです。

いつも元気一杯のあみさんのこと。

選手たちもすぐに回復すると思っていました。

ところが2015年12月、「悪性腫瘍が見つかったの、手術するかも・・・」

と同級生の部員たちはあみさんに告げられました。

あみさんの頬には涙…。

皆もうつむいてショックを隠せません。

そんな中、主将の緒方海人さん(3年)が力を振り絞って宣言しました。

「皆で頑張って、あみを絶対甲子園へ連れて行こう!!」

皆の気持ちが一つになりました。

そして1ヵ月後の2016年1月には、

あみさんは家族に支えられて修学旅行先の東京へ行きました。

野球部員たちとスカイツリーに上ったりしたとのこと。

いつもは応援されている部員たちが、

あみさんに「必ず夏までに治る!」とお守りを渡したそうです。



天国からスコアを…

しかし、5月最後の土曜日のことです。

松永監督は部員たちに「皆であみを見舞って来い」と告げました。

病室へ入る部員たち。

そこで目に飛び込んだのは、あみさんの苦しそうな姿でした。

切迫した状況を感じた部員たち。

皆のギャグに精一杯こたえようとするあみさんの姿に、部員たちは誓います。

「甲子園に一緒に連れて行くから頑張ろう!夏の大会でスコアをかいてくれ!勝ち進んで 時間をかせぐから!!」

皆の想いに答えるかのように小さく頷きました。

ところが翌々日、あみさんは天国へと旅立ってしまいました。

あみさんは病室でなくなるまで、

プロ野球中継をみながらスコアをつけたそうです。

「甲子園に行ってスコアをつけられなかったら困るよ」

と、最後の最後まで諦めなかったあみさん。

そんなあみさんの最後の様子を聞き、部員たちは改めて天国のあみさんに誓います。

「どんなに苦しい戦いでも絶対諦めない。天国からスコアをつけて!」

「みんなの想いはきっとあみさんに届いている!!」

試合結果

そして7月10日の福岡大会2回戦。

対戦相手は光陵高校。

「舟木のためにも絶対に負けられない」

前日には野球部の3年生全員であみさんのお墓参りをし、「勝つ!」と誓いました。

そして3塁側ベンチには20番目の選手との思いを込めた、

「AMI」と背ネームに刻まれたユニフォームと遺影を持ち込み、試合に臨みました。

結果は10-0と惜敗。

先発投手を務めた谷口さんは「背番号1をもらったのに申し訳ない」と唇をかみ、

主将の緒方さんも「申し訳ない、勝たせてあげられなくて悔しい」とうなだれました。

松永監督は、「悲しい出来事があっていろんなものを背負ったが、チームがひとつになれた」

と皆をねぎらったそうです。

気持ちがひとつに合わさって戦ったこの日。

天国のあみさんは大きな声でみんなを励まし、スコアをつけていたことでしょう。

敗れはしたものの、皆の思いはあみさんに必ず届いていたはずです。

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