お笑いタレントの明石家さんまさん。
バラェティー番組の司会で今でも活躍中ですね。
80年代に驚異的な視聴率を上げた「オレたちひょうきん族」の、
「あみだババア」などを演じるさんまさんに、
お腹を抱えて笑った方も多いのではないでしょうか?
しかし実はさんまさん、あのいつでも誰かを楽しく笑わせようと、
高い声で突っ込みを入れる楽しそうな姿からは、
とても考えられないような辛い過去があったのです。
辛い過去を乗り越えて、
お笑い芸人のトップに上り詰めたさんまさんの素顔をご紹介します。
届かない愛
明石家さんまさんは和歌山県で生まれ、
お兄さんの正樹さんと二人兄弟でした。
しかし二人のお母さんは、
さんまさんが3歳の時に病気で亡くなってしまうのです。
しばらくしてお父さんが再婚します。
それは、さんまさんが小学校高学年の時でした。
思春期を迎える手前の年頃ですがさんまさんはとても喜び、
歳の離れた弟を大変可愛がったそうです。
しかし、継母への遠慮や彼女が実弟ばかり可愛がる事もあり、
新しい母との間には見えない壁がありました。
それでもお母さんと親しくなるために、
さんまさんは毎日面白いことを必死で考えて笑わせようとしたそうです。
ここにお笑い芸人の原点があったのですね。
そんな努力のかいもなく、
お母さんは二人を自分の子供だとは受け入れてくれなかったそうです。
お兄さんの回想によると、
お母さんは隣の部屋で酒を飲みながら自分の子は自分が産んだ子だけだ、
と言っているのを聞いたそうです。
二人は寝床でよく泣いていたとのこと。
この母親がトラウマとなり、
さんまさんはお酒やお酒を飲む女性が苦手になったのだとか…。
弟との突然すぎる別れ
お母さんとの関係は上手く行きませんでしたが、
歳の離れた連れ子の弟さんとは仲が大変良かったそうです。
小さい頃からさんまさんを尊敬し、崇拝していたのだとか。
大変素直な性格でサッカーを得意とし、
サッカー部のキャプテンもやりこなしインターハイにも出場、
国体選手にも選ばれた自慢の弟だったようです。
さんまさんもサッカーをやっていましたから、
憧れてはじめたのかも知れませんね。
そんな弟をさんまさんは「チビ」と呼んで、溺愛していたそうです。
しかし弟さんは19歳の時、
火事が原因で突然亡くなってしまいます。
突然、亡くなってしまった弟。
ワールドカップを一緒に見に行こうと約束していた「チビ」の笑顔。
さんまさんは、弟さんの死を受け入れられないでいました。
その頃、さんまさんはお笑い芸人として人気もあり、
知名度も高かったのですが弟を失ったショックで笑いを取れなくなり、
本気で芸人を辞めようと考えたこがあるそうです
そんなさんまさんを救ったのは、
吉本興業の同期であるオール巨人さんでした。
共演した舞台での事です。
「お前んち、兄弟焼いたらしいな」
と、巨人さんがきわどいボケを言いました。
さんまさんは、これを励ましと気づきます。
「そや、材木が切れたから代わりに焼いたんや」とツッコミます。
激怒してもおかしくないこのボケに、さんまさんは救われたのです。
「さんま、芸人やめたらあかんで!」
という思いが通じたのでしょう。
後に「芸人やめんで済むわ」
とオール巨人さんに感謝したとか。
ちなみに、この時の舞台はかなりウケたそうです。
生きてるだけで丸もうけ
1985年8月12日に起きた、
日本史上最悪の『日本航空JAL123便墜落事故』。
坂本九さんを含む、
520名の尊い命が奪われたあの事故を覚えてますか?
その飛行機に、さんまさんは搭乗する予定だったそうです。
当日フジテレビ『オレたちひょうきん族』の収録後に、
JAL123に乗り大阪へ行く予定でした。
これも運命なのでしょう。
たまたま「ひょうきん族」が早く終わり、
一つ前の便で大阪に向かったといいます。
墜落事故のニュースを聞いたさんまさんは、
事故当時の生放送ラジオ番組を特番放送に切り替えたそうです。
そしてこの事故のショックから、
さんまさんは出来るだけ新幹線で移動しているそうです。
幼い頃に母を亡くし、溺愛していた弟も亡くし、
自分も一つ違えばこの世からいなくなってた命。
そんなさんまさんは、大竹しのぶさんとの間に生まれた娘さんに、
「IMALU」(本名:大竹いまる)と名付けます。
由来は「生きているだけで丸もうけ」。
大事な娘にどれほどの思いが込められているか、
さんまさんの過去を思うとそれだけで頷けます。
みんなを巻き込むあの楽しい笑いには、
さんまさんの悲しみと優しさから生まれたものなのですね。