泣ける

紛争を乗り越えて金メダルを獲得した柔道女子のケルメンディ!号泣する姿に感動・・・

オリンピックには、選手の数だけ物語があります。

選手になれなかった人のことを考えると、それ以上ですね。

ケルメンディという選手は、

リオ五輪女子柔道52キロ級で金メダルを獲得しました。

その背景を知ると、彼女の涙の意味が痛いほどわかってきます。

彼女の故郷は、コソボという国です。

紛争が相次ぎ、決して良い環境とは言えない中の快挙です。

こんな言葉を残しています。

「たとえ紛争を経験していても、夢はかなえられる。たとえ多くの問題を抱え、小さくて貧しい国にいるとしても、 五輪のチャンピオンになるような大きなことを達成できる。そう子供たちに伝えたい」

紛争が続いたコソボ

ケルメンディ選手はコソボという国で育ちました。

そこは、1999年までコソボ紛争が起こっていました。

彼女はこの紛争が終結した、8才のころから柔道をはじめました。

きっかけは姉の誘いです。

人口約10万人の小さな町であるペヤの自宅近くにある道場

「IPPON」に姉が誘って訪れたことがきっかけだったそうです。

オーナーはコーチのドリトン・クカさん。

柔道をはじめて以来、二人三脚で歩んできたそうです。

ケルメンディ選手は、たくさんの練習を重ねて実力をつけていきました。

そして2008年、

コソボ独立の翌年に開催された世界ジュニア選手権で優勝を勝ち取ります。

コソボの希望

ぐんぐんと頭角をあらわし始めますが、

残念なことに当時のコソボは国際オリンピック委員会から、

加盟を承認されていませんでした。

そこでロンドン五輪では、

市民権を持つ隣国のアルバニア代表として出場しました。

ケルメンディ選手はコソボの人々にとって希望でした。

「君が世界で勝つと、とてもうれしい。紛争で失ったものを忘れさせてくれる。」

そんな言葉をかけられるほどです。

彼女はそんな期待を一身に背負い、ロンドン五輪に挑戦。

しかし、結果は無情にも3回戦で敗退。

それからしばらくは気持ちを立ち直すことが難しかったようです。

しかし、彼女はそこで終わりませんでした。



ついに流れた国家

それから彼女の努力の甲斐もあって、

2013・2014年の世界選手権を連続で制覇していきます。

そしてついに、2014年末にIOCから承認されることとなりました。

訪れたリオ五輪の試合当日。

日本の中村美里選手との準決勝で、一つの指導の差で決勝へと進みます。

開始29秒、畳に手を当て祈るように望みました。

得意の内股で有効を奪ってみごと勝利!

念願の五輪で頂点を掴み取りました。

表彰式では表彰台の一番高い所で、涙を何度もぬぐう姿が印象的でした。

そして、コソボの国歌が会場に流れたのです。

スポーツは国民に勇気を与える、

ということを証明したようなお話でしたね。

2020年の東京五輪でも、頑張ってほしいですね。

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