泣ける

瓦礫の中の写真と携帯が呼んだ奇跡!「生きていて欲しい」と願い続け・・・

川谷清一さんはあの3.11東日本大震災の1ヶ月後、

当時大阪で高校の事務長をしていた職場に休暇願を出し、

宮城県南三陸町に出向きました。

写真などを拾い集めてきれいに洗うボランティアをするためでした。

カメラの趣味を持っていた川谷さんは何か自分の出来ることを思い、

写真関係のボランティアに登録していたのでした。

現地で目にしたのは、あまりにも無残な三陸の町でした。

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無数の家屋や車、船、

それらが一瞬にして瓦礫と化して、

惨憺たる姿をさらしていました。

今までテレビの画面でしか見ていなかったあの光景が、

目の前に広がっていたのです。

川谷さんはそんな瓦礫の山から、

持ち主が特定できそうな写真などの思い出の品々を集めていきました。

そこで一枚の写真と携帯電話を見つけました。

心に残った一枚の写真

アルバムから流れ出てしまったと思われる一枚の写真。

そこには若いカップルが幸せそうに写っていました。

携帯電話がどこに落ちていたのか、

正確には覚えていませんでしたが、

たまたま一緒に並べて写しました。

持ち主の手がかりになればと思い、

並べて撮影して写真に収めておきました。

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カップルの写真と携帯電話を一緒に写した写真は、

何故かずっと心の奥に残っていました。

しかしこの写真を含めて、拾った写真は写っている人を特定し、

持ち主に返すということは一度もできていませんでした。

「このカップルは生きているのだろうか」

川谷さんはずっとこの一枚の写真が気になっていました。

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その後、川谷さんはもっと被災者に寄り添いたいという思いから、

35年勤めた大阪府庁を退職してしまいました。

そして始めたことは、現地で集めた写真の展示会を行うことでした。

川谷さんは例のカップルの写真も展示しました。

そして、その初日。

衝撃的なことが起こりました。

写真の女性

「この写真に写っているのは私です」

その言葉を聞いた瞬間、川谷さんは全身に鳥肌が立つのを感じました。

あのカップルの写真の女性が生きていた!

これほどの衝撃はなかったと川谷さんは言います。

この女性の名前は小坂翔子さん。

登米市観光協会に勤務しているとのことでした。

あの写真を拾ってから、

ずっと気になっていたその人と出会えた。

それは雷に打たれたほどの驚きでした。

隣に写っていた男性について、川谷さんは恐る恐る訪ねました。

「彼です。今も付き合っています」 

小坂さんはこのように答えてくれました。

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川谷さんはほっとしました。

男性の名前は芳賀健爾さんといいました。

自宅は津波で流され、

彼自身も一度は津波に飲み込まれました。

けれども必死に泳いでいるうちに、

運良く山肌にぶつかって助かったのだそうです。

まさに奇跡の生還でした。

話を聞いていくうちに、もう一つ驚くことがありました。

一緒に写っていた携帯電話も、

芳賀さんのものだということでした。

携帯電話は使っていなかったので、

机の引き出しにしまってあったのだそうです。

それが写真と一緒に流れ着くとは。

これは奇跡としか言いようがありません。



2年後の結婚式

2人は震災前に結婚の約束をしていました。

しかし2人の家はどちらもあの津波に流されていて、

それどころではなくなってしまいました。

でもそれから2年経った2013年7月、

南三陸町のホテルで結婚式をあげる2人の姿がありました。

その席には川谷さんも招かれました。

披露宴で映し出される写真の中に、

川谷さんが発見した例の写真もありました。

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川谷さんは最初、この泥だらけの携帯電話を拾った時、

多分この携帯の持ち主は助かってはいないだろう、

と思っていたそうです。

2人とも生きていて、

こうして無事に結婚式を挙げることができて本当に良かった。

川谷さんは心から2人を祝福しました。

1枚の写真、が若いふたりと川谷さんを結びつけたのです。

東日本大震災では大変な思いをしたふたり、

でも幸せになって本当に良かったですね。

これからもずっとお幸せに。