泣ける

「死ぬことは怖くない」と遺書に綴った18歳の回天特攻隊員が恐れていたものとは?

戦争を経験した方々も少なくなっていき、

若い世代は教科書でしか戦争のことを知らず生活しています。

1年の中で戦争の話を聞くのは、夏ぐらいなものです。

しかし、日本の平和のために命を捧げた少年達がいたことを、

日本人として忘れてはいけないのではないでしょうか?

自分で操縦し、敵艦めがけて突撃しなければならない回天特攻隊員。

tokkou

攻撃に失敗しても命を落とすと分かっていて、

それでも日本のために海へ向かうのです。

今回ご紹介する手紙は、

人間魚雷として「回天」に乗る直前に書かれたものです。

私たちはこの手紙を読み、

何かを感じなければいけないのかもしれません。

18歳の少年は…

18歳の回天特攻隊は素敵な笑顔で写っています。

「回天」とは日本軍最初の特攻兵器で魚雷の中に人間が入り、

敵艦をめがけて操縦しながら突っ込んで行くというもので、

片道ですから回天特攻隊員は失敗しても必ず死が待っているのです。

この手紙は命令が下った18歳の少年が、母に宛てた遺書です。

「お母さん、私は後3時間で祖国のために散っていきます。」

という書き出しではじまり、

「本当ですよお母さん。少しも怖くない。」

と綴っています。

手紙の内容は家族を思う内容で、

本当に素晴らしい人柄滲み出ています。

手紙の最後に、

「お母さん、私はどんな敵だって怖くはありません。私が一番怖いのは、母さんの涙です。」

と締めくくっています。

ぜひ全文をご覧になって下さい。



母へ向けた遺書

18歳の回天特攻隊員の遺書

お母さん、私は後3時間で祖国のために散っていきます。

胸は日本晴れ。

本当ですよお母さん。

少しも怖くない。

しかしね、時間があったので考えてみましたら、少し寂しくなってきました。

それは、今日私が戦死した通知が届く。

お父さんは男だからわかっていただけると思います。

が、お母さん。お母さんは女だから、優しいから、涙が出るのでありませんか。

弟や妹たちも兄ちゃんが死んだといって寂しく思うでしょうね。

お母さん。 こんなことを考えてみましたら、私も人の子。

やはり寂しい。

しかしお母さん。

考えて見てください。

今日私が特攻隊で行かなければどうなると思いますか。

戦争はこの日本本土まで迫って、

この世の中で一番好きだった母さんが死なれるから私が行くのですよ。

母さん。

今日私が特攻隊で行かなければ、年をとられたお父さんまで、銃をとるようになりますよ。

だからね。お母さん。

今日私が戦死したからといってどうか涙だけは耐えてくださいね。

でもやっぱりだめだろうな。

お母さんは優しい人だったから。

お母さん、私はどんな敵だって怖くはありません。

私が一番怖いのは、母さんの涙です。

戦争を忘れないために

死を前に、彼らは何を思っていたのでしょうか?

写真に写る少年たちの笑顔は素敵で、

写真に込められた背景さえなければ、

年相応の楽しそうな一枚に見えます。

しかし彼らは、

日本のために命を犠牲にして戦ってくれたのです。

今ならば、

なぜ命を無駄にするような作戦を思いつくのだろうと思い至りますが、

戦争というのは普通の感覚さえ麻痺させてしまうものなのでしょう。

遺書を受け取ったお母さんの心情を考えると、

胸が張り裂けそうになってしまいます。

彼らの死が報われるよう、

私たちが平和で過ごせることに感謝し、

戦争の悲惨さや凄惨さを伝えてなければいけないのかもしれません。

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