無残なパトカー
Twitterユーザーの@tk_590208さんが、
ツイートした画像の数々が話題になりました。
投稿者さんはある日、
福島県の双葉郡にある双葉警察署へ行ってきました。
その理由は警察署に置かれている、
1台のパトカーへお供え物をするためでした。
東日本大震災の痕跡。
津波が押し寄せる中、住民達に避難を促し、津波に飲み込まれた佐藤警部補と17クラウンのパトカー。
警察官の鏡です。
ご冥福をお祈り致します。 pic.twitter.com/FhJLwqA7j0— ταικυη (@tk_590208) September 2, 2017
そのパトカーは本来の原型が分からなくなっているほど、
車体が大きく潰れて中身がむき出しになっています。
そして車体の側には、
たくさんの花やお供え物などが並べられています。
側に立てられた看板には、
パトカーがこうなった理由が記されています。
押し寄せた津波
2011年の東日本大震災により、
このパトカーは無残な姿となりました。
2011年3月11日当時、
このパトカーに乗車していたのは、
増子洋一警視と佐藤雄太警部補の2人です。
地震直後、
彼らは住民への避難を呼びかけるため、
双葉郡の富岡町仏浜地内を、
パトカーで走っていたのです。
![](https://lovelyy.press/wp-content/uploads/2020/08/genkei1.jpeg)
その途中で津波が押し寄せ、
逃げる間もなく車体は激しい力で、
流されていきました。
1ヶ月後に増子警視の遺体が、
陸地から30キロ離れた沖合で見つかりました。
佐藤警部補は未だに行方不明の状態です。
ボロボロの姿で見つかったパトカーへと手を合わせるため、
たくさんの人々が警察署を訪れるようになりました。
歴史的資料
やがて福島県警察は後世へ伝える目的のため、
町民や遺族と協力してこのパトカーを、
警察署に設置することにしたのです。
側の看板にはこのパトカーについて、
震災の中で住民を守る為に、
職務を全うした人たちがいた事や、
地震・津波の脅威を示す歴史的資料として、
貴重なものだと記されていました。
![](https://lovelyy.press/wp-content/uploads/2020/08/genkei2.jpeg)
この車体そのものが、
福島県を襲った恐ろしい現実を表しているのです。
危険な状況下にも関わらず、
呼びかけ続けた彼らの行動によって、
きっとたくさんの命が救われたことでしょう。
増子警視と佐藤警部補による、
住民を助ける為の勇敢な行動に、
心からの敬意を表します。