泣ける

民宿を経営する夫婦の笑顔!その裏にある多くの命を救った娘のつらい過去とは?

未希の家

遠藤清喜さんと美恵子さんは、

宮城県南三陸町で民宿を経営している夫婦です。

漁師の清喜さんが釣った魚介類を使った料理が売りで、

1日1組限定であることも特徴的な民宿です。

宿の名前は「未希の家」と言い、

亡くなった愛娘の名前からとって名付けられました。

夫婦が民宿に娘さんの名前をつけたのには、

深い理由があります。

当時24歳だった遠藤未希さんは親思いで、

両親の側にいることができるようにと、

地元の町役場に就職しました。

2010年には結婚をして、

順風満帆な人生を送っていました。

しかし翌年の2011年3月11日、

東北地方を大地震が襲います。

もちろん南三陸町も例外ではありませんでした。



避難呼びかけ

役場の危機管理課で働く未希さんは、

災害時に防災行政無線で、

住民に避難を呼びかける役割を持っていました。

「津波が襲来しています。高台に避難してください」

先輩の三浦毅さん(当時51歳)と一緒に、

そう住民へ呼びかけます。

未希さんがいる町役場の高さは12メートルです。

予想される津波の高さが10メートル以上。

未希さんと三浦さんが勤めている町役場も、

津波に飲み込まれる危険性がありましたが、

たとえ上司から避難指示が出されても、

2人は持ち場を離れませんでした。

地震から約1ヶ月後、

志津川湾で未希さんの遺体が見つかりました。

未希さんと一緒だった三浦さんの遺体は、

未だに発見されていません。

娘と歩む民宿

南三陸町だけで死者や行方不明者は、

700人を超えるほどの被害が出ました。

しかし未希さんたちの頑張りによって、

9,000人以上の町民の命が救われたのです。

町民の中には未希さんの呼びかけで、

高台への避難を決めた方も数多くいました。

遠藤夫妻はこのように語っています。

「悲しみは消えませんが、娘とともに歩む民宿で精一杯頑張っていきたい」

宿泊客には津波の恐ろしさ、

そして高いところに逃げるアドバイスをしています。

未希さんが身体を張って教えてくれた

「生きることの大切さ」を人々に伝え、

津波で亡くなる人が少しでも減らせるようにと、

「未希の家」に訪れるゲストを、

いつも温かく迎えているそうです。