泣ける

5年に及ぶ内戦を終わらせた、当時28歳だった男性の真の姿とは?

今から13年前の2005年10月8日、

翌年に行われるドイツW杯の予選

「スーダン対コートジボワール(アイボリーコースト)」

戦がありました。

この試合は、

コートジボワールの歴史を大きく変えることになります。

ディディエ・ドログバ

国の運命を変えたその選手は、

フランスの1部リーグで頭角を現した、

ディディエ・ドログバ選手です。

当時は28歳。

イギリスのプレミアリーグの名門

『チェルシー』のセンターフォワードとして大活躍していました。

世界が認めるエースストライカーであるドログバ選手は、

ドイツW杯予選で母国コートジボワールの代表として試合に臨み、

アウェイにも関わらずスーダンを「3対0」で破り、

W杯の本戦切符を初めて手にしました。

喜びに沸くコートジボワール代表でしたが、

キャプテンを務めるスリル・ドモロウ選手は、

マスコミ陣をロッカールームに招き、

マイクを奪ってドログバ選手に渡したのです。



ひざまずく選手たち

「アイボリーコーストのみなさん。私たちはこの国の国民はどこの出身者でも共存でき、目的を1つにできることを証明しました。この勝利がみなさんを1つにすることを、私はひざまずいて約束します。」

こう語ってドログバ選手がひざまずくと、

他の選手もひざまずきます。

「どうか赦し合ってください。豊かなアフリカがこのような戦争をしてはいけません。全ての武器を置いてください。公正な選挙をすればきっと良い国になります。」

ドログバ選手が真剣に訴え終わると、

チームメイトと立ち上がりました。

そして、みんな笑顔で次のように歌ったのです。

「みんなで楽しみましょう。銃を撃つのはもうやめて下さい!」

このメッセージが放送された後、

母国での選挙は1滴の血も流れることなく、

無事に実施されたとのこと。

そして、コートジボワール代表がドイツW杯本線に臨んだ2006年夏、

彼らの平和に向けた努力が実って内線は終わったのです。

内戦の悲劇

ドログバ選手が国外で活躍していた頃、

母国のコートジボワールでは2002年から、

北と南に分かれて激しい内戦が続いていました。

尊い命が何千と奪われ、

何百万人もの人々が住む場所を追われました。

内戦は泥沼化し、

選挙も暴力の中で死者が多数出ると予想されていたのです。

しかし、W杯での呼びかけや一丸となったチームの力により、

無事に選挙は終わりました。

さらに2007年3月、

ドログバ選手は2010年W杯予選のマダガスカル戦で、

激戦地だった母国の『ブアケ』に試合場所を変えるように要請し、

国民に1つになろうと呼びかけたのです。

この日、

コートジボワールで内戦をしていた北部と南部の両リーダーが、

会場で母国の国家を歌いました。

その姿にドログバ選手は、

「アイボリーコーストが生まれ落ちたのを見た」

とコメントしています。

それから5年、

2011年4月にコートジボワールは再統一され、

現在は高度成長期を迎えています。

母国での悲劇に心を痛めていたドログバ選手、

世界を通じて訴えた勇気ある行動が国を1つにしたのです。

今なお、内戦で苦しんでいる人たちが大勢います。

この勇気ある行動が、どうか世界に広がりますように願います。

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